50 火をふところに入れた法印さん

50 火をふところに入れた法印さん

 清水に持宝院(じほういん)という修験(しゅげん)の法印さんが居りました。代々学問のある家の人でした。


 江戸末期のことです。その頃は副業に炭焼をしていた家が多く、馬に炭を付けて淀橋まで運んだものです。正月の初荷で持宝院も馬をひいて出かけました。当時、淀橋を渡って少し先の成子坂の下に馬宿があったそうです。

 青梅街道をはるばるやって来た持宝院は、ほっとしてそこでひと休みすることにしました。荷付け馬を表につないで中に入り、居合せた人達と気軽に言葉を交しているうち、ひとりの馬方が急に悪態(あくたい)をついてからんで来ました。

 それでも、「正月のことだから、まあまあ」と言うことで酒が出されたので持宝院も内心やれやれと思ったことでしょう。ところが相手の男は、

 「酒の肴にどうぞ……」

 と言って、真赤におこった炭火を火箸に挾んで差出しました。持宝院は少しも騒がず懐から半紙を取出してその炭火を包むと、そのままゆうゆうと懐に入れてしまいました。そしてやおらもう一枚の半紙を出して、

 「私ばかりいただいては済まないから、お前さんもどうぞ……」

 と、同じように炭火を差出しました。こればかりは普通の人には受けられるものではありません。相手は目を白黒させてあやまってしまいました。並いる人たちの驚いた顔も想像がつきます。

 持宝院は修業を積んだ法印さんでしたから火伏せの印を結んで火を消すことができたのだということです。(p111~112)